毎週火曜に、「『存在と時間』をドイツ語で読む会」の入門編を行なっています。 入門編では、『存在と時間』の基礎知識とドイツ語のテキストの読み方を丁寧に解説しています。
なぜハイデッガーはそれほど重要か(文=吉次基宣)
1.問い
「なぜに存在者が存在するのであって、むしろかえって無ではなかったのか。」
これが問である。ドイツの哲学者マルチン・ハイデッガーが生涯を通じて問い続けた問である。人はいう奇矯な問であると。確かに奇矯な問である。人はこんな問には見向きもしない。科学を信奉し、知のあらゆる領域で科学的に思考し、状況に応じて現実的な判断をしようとしている人にとっては奇矯な問である。新たな技術と企業の活動に注目し、その最新のデータを収集し、適切な投資先を探ろうとしている人にとっては奇矯な問いである。何らかのプロジェクトに参加し、その目標に向けて懸命になっている人にとっては、このプロジェクト自体がこの奇矯な問いを問うことを許さない。……
こうして人は日々この問いの前を素通りするのである。
ところが、ハイデッガーにとってはこの問いを問うのか、問わないのかが決定的に重要なのである。文を読む…


延期のお知らせ

連続イベント! 第7回日程調整中

第7回 齋藤元紀氏著『存在の解釈学』を読む


会場の確保ができず、3/13に開催予定でした「第7回目の連続イベント」を延期いたします。日程は決まり次第お知らせいたします。


当会では、齋藤元紀氏をお招きし、氏の著書『存在の解釈学』(法政大学出版局)を精読する連続イベントを開催しております。第7回目のとなる次回は、現在日程を調整しております。当会メンバー以外の方々のご参加も大歓迎。お気軽にお問い合わせください。みなさまのご参加をこころよりお待ち申し上げます。


1)日 時
2020年3月13日(金)
※講義終了後、懇親会を開催いたします。

2)場 所
東京都千代田区(お申し込みいただいた方にメールでお知らせいたします)

3)テキスト
・齋藤元紀氏著『存在の解釈学 ハイデガー『存在と時間』の構造・転回・反復』(法政大学出版局)

開催日一週間前頃までに、上記当該箇所の感想または質問事項などを、A4で1枚を目安にお書きいただき、下記のEメールアドレスにお送りください。
※テキストは各自でご用意ください。

4)申込方法
Eメール「szdokushokai ■ gmail.com(■を@に変えてください)」まで、下記をお知らせください。
・お名前
・ご所属
・携帯電話番号
※メーリングリストに登録されている方は申し込み不要です。

5)申込締切
開催日1週間前を目安に締切とさせていただきます。

6)参加費
無料。

2018年5月11日金曜日

次回の火曜日の会 2018 5/15

日時:2018年5月15日(火)18:30〜20:30
場所:千代田区(いつもの場所)

次回の火曜日の会は『Beiträge zur Philosophie(Vom Ereignis)』です。
テキストは下記の通りです。

1)渡邊二郎『ハイデッガーの「第二の主著」『哲学への寄与試論集』研究覚え書き』(理想社):
「第二節 ハイデッガーの新機軸の用語法の方向」(306ページの1行目)より。
2)『Beiträge zur Philosophie(Vom Ereignis)』:
第1節の第3段落目の冒頭(4ページの17行目)の「Dennoch muß auch hier schon wie in einer Voriibüng……」より。


以下、5/8の火曜日の会の内容です。
1)R.M.Rilke「Blaue Hortensie」:精読と参加者による翻訳合評
2)辻邦生著『薔薇の沈黙』より第四章「セザンヌからの死」の講読
3)P.Celan「Mandorla」(※予定にはありませんでしたが、こちらも精読しました)
4)森治著『ツェラーン(Century Booksー人と思想)』(清水書院)より「無の栄光ー 1大光輪」(※こちらはP.Celan「Mandorla」の解説として講読)

Heideggerの読書会にあべ静江が話題に!「Blaue Hortensie」の「in alten blauen Briefpapieren」から、彼女の「みずいろの手紙」という歌を思い出したという話です。それはさておき、みなさん、苦労してリルケの詩を翻訳しました。「blaue」は水色か空色か、青色じゃないだろうとか、第三聯の翻訳をどう訳すか、同じ聯の「wie fühlt man」の「wie」の役割は? と、さまざまな話題が飛び交いました。
またツェランの「Mandorla」で話題となったのは、Heideggerの無です。詩に使われている「Nichts」は、Heideggerが『Warum ist Metaphysik?』で投げかけた「Warum ist überhaupt Seiendes und nicht vielmehr Nicht?」の問いと近づけて読むというもの。みなさん、いかがでしょう?
ということで、今回も『乏しき時代の 詩人』『Sein und Zeit』に到達できませんでした。

来週の火曜日の会(5/14)は『Beiträge zur Philosophie(Vom Ereignis)』ですので、火曜日の会のもう一つのメインテキスト『乏しき時代の詩人』『Sein und Zeit』を読むのは、5/22です。
5/22の予定は、
1)R.M.Rilke「Rosa Hortensie」の精読と合評
2)辻邦生著『薔薇の沈黙』:第五章「〈愛する女〉の肖像」の講読
3)『乏しき時代の詩人』:18ページの後ろから3行目、「雲のかたちさながら ……(リルケ)」より
4)『Sein und Zeit』:「第6節」第12段落の途中(24ページの24行目)、「Die Herausarbeitung der unausdrücklichen ontologischen Fundamente des »cogito sum« ……」より


あべ静江からHeideggerの無まで、幅広く話が飛び交う火曜日の会。おもしろそう! そう思われた方は、ぜひお気軽にメールをお送りください。みなさまのご参加をお待ちいたしております。(み)